実は、あやめは家族の間でちょっと鼻つまみ者になりつつはあったが、
もう高校生であるし、勉強も生徒会やボランティア活動もきちんとやっ
ているので、
祐との交際についても、むやみに禁止されるようなことはなかった。
「学生の身分をわきまえて!」
それが、露草家の大人たちが振りかざす錦の御旗だったが、
”できるなら祐とは別れさせたい” いうのが本音のようだ。
交際をどこまで認めるかは、微妙な問題だが、
多少なりとも、汚され、今後の縁談などにケチが付くはめになる前に、
”どうにか、その評判の悪い男と別れるよう説得しなければ”
と、両親は考えていた。
そんなこんなで、週末に時々、今までよりはおしゃれに気を使って出
かけるあやめに、母が釘を刺した。
「おかしな連中とは付き合わないで。
もう高校生なんだから、自分の行動には責任を持ってね。
あなたの後ろには、
いつもおじい様やお父様の看板があることも忘れないで。
あなたの軽率な行動が、
お父様の選挙に影響しないとも限らないのよ。
それから、ケータイ持って出てね。 買い物頼むかもしれないから。
夕飯の支度までには帰るのよ。」
あやめの家族は、ひとりひとりが携帯電話を持っているわけではなく。
父以外の家族は、用事のある者が必要な時に家族共通の一台を
使いまわしている。
これであやめは、首に鈴をつてられた猫同然だ。
どこにいるか、常にチェックされるというわけ。
「今日はね、友だちといっしょに、冬休みの宿題の読書感想文を
仕上げるの。夕方までには帰るから。」
とはいうものの、祐と会える確約はない。
会えなくてもいいから、勇気を出して祐の家を訪ねるつもりだ。
何だかわからないけれど、切ない気持ち。
優しく手を握られてから、
その手のひらの温もりが忘れられないでいる。
−いつもじゃなくていい。
時々、そっと握ってほしい。
会わずにいると、心もとない。
運命の糸が切れないように、
糸を補強してほしいよ。
電車に乗って、感想文の原稿用紙を読み返す。
本のタイトルは、”トオル、君を忘れない”
長野冬季オリンピックへの出場がほぼ確定していたモーグルの選手。
オリンピックを目前にして、スキルスがんを宣告される。
何もかも輝いていた青春が、過酷にも奪われる。
死に直面した徹君と、家族、友人たち、ガールフレンドの心情…。
最後まで希望を捨てず、死と向き合って精一杯生きた徹君。
がんと闘う物語はよくあるけれど、あやめは徹君の、
「俺が死んだら、みんな俺のことなんて忘れちゃうんだろうな。」
というその言葉に、命のカウントダウンの中での彼の心の奥の本音
を垣間見るようで、いたたまれなくなる。
そして、命の尊さを教えてもらっている気がする。
−私も、今日は昨日の続きだとか、明日は必ず来るとか思わずに、
今日という日は二度と来ない大切な一日と思って生きたいよー。
人や家族にとってでなくて、自分にとって本当に大切なものは何
かを考えながら、今この時を精一杯行きたい…
会いに行く理由ではあるけれど、
この感動を、祐さんに伝えたい。
自分にとって、大切な人になるかもしれない人だもの…
電車に乗り、バスに乗り換えて祐の家に着いた。
ドアベルを押して、ドキドキしながら待つ。
ドアを開けたのは、祐の母親だった!
あやめは失望と緊張と後ろめたさでしどろもどろになりながら、
まるで言い訳をするように、自分が来た理由を説明した。
「お休み明けに読書感想文を提出しなければならないのですけれど、
どうしても祐さんに見ていただきたくて…」
祐の母親は、快くあやめの話を聞いてくれた。
が、祐は不在だという。
「待ってもらってもいいんだけれど、いつになるかわからないからね。
ごめんなさいね。せっかく来ていただいたのに。
私も締め切り原稿があって、お相手して差し上げられないのよ。」
「とんでもないです。
急におじゃました私が悪いんです。
じゃ、またの機会にします。
ありがとうございました。」
−フー…
おいとまを告げ、相手の返事を聞くのもそこそこに、あたふたとドアを
閉める。
恥ずかしさと後悔で、頭がまっしろしろになっていた。
そこであやめがしたことは…
祐の家の入り口が見える住宅街の角で、ただ立ちつくすこと。
自分の性格に似合わぬ大それたことをしたあとの脱力感で、足が
凍りついてしまい、バス停に向かって一歩が踏み出せないのだ。
それに、祐が帰ってくるかもしれないという小さな希望の炎が胸に
点ってしまった。
あやめはそうしてずっと、ずっと、そこに立ち尽くしていた。
日が暮れるまで。
祐が現れたら、
「あら、今、帰ろうと思っていたところなの。」
と言うつもりだった。
すっかり日が落ちてあたりが夕闇に包まれた頃、あやめのバッグの
中でケータイが唸った。
あやめは寒さでかじかんだ手で、その小さな金属の塊を捜す。
母親だ。
なかなか帰らないので、業を煮やしているのだろう。
あやめは、明かりの灯された祐の家の玄関先をうらめしそうに見なが
ら、閑散とした住宅街の通りをトボトボとバス停に向かって歩き出した。
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