ヤクザの卵さんたちに ”必ず家に帰る” と約束をさせられたあやめが
雨の中、電車の駅の軒下で雨宿りしていると、
ナナハン(大型バイク)に乗った男が道路に水しぶきをあげ、半円を描
いて急停車した。
何事かと見ていると、バイクから降りた男がヘルメットを取る。
それがテイクファイブのマスター広瀬 陵(りょう)とわかった時には、
あやめはCGの合成画面か何かを見ているのかと思った。
「あやめちゃん!良かった、無事で。
ここへ向かう間、生きた心地がしなかったよ!」
「マスター?!」
あやめがそう言い終わらないうちに、陵はあやめをきつく抱きしめて
いた。
雨の中の抱擁。
相手が30を超えた髭男だったため、わけありの恋人同士に見えない
こともない。
そこでなぜか、まわりの茂みから 「ヒュー ヒューッ 」 という口笛や
冷やかしの声や、拍手が起こった。
そう、ヤクザの下っ端さんたち、いや、ヤクザの卵さんたちが、あやめ
が無事に電車に乗るかどうかを蔭から見守っていたのだ。
「なんじゃい、あいつら…?
とにかく乗って。 はい、ヘルメット。それに防寒服。」
陵があやめに服の入った袋を手渡して言った。
あやめは何が起こっているのか深く考える暇もなく、駅の待合室で今
着ている服の上にその防寒服を重ね着し、陵のバイクの後ろにまた
がった。
「しっかりつかまってろよ!」
大きなバイクのエンジンの響きは、あやめの体に直接伝わって来て、
そのマシン自体が生き物のようだ。
あやめはしっかりと陵の背中にしがみついていた。
−私、あの現実に引き戻されちゃうの?
それにどうしてマスターは、私がいなくなったって知ってるの?
うちの家族とはつながっていないのに?
マスターまで私がいなくなったことを知っているってことは、相当い
ろんな人にまで問い合わせが行っちゃったってことなのかな…
それにしても、それならば、本人が来なくったって、警察に言えばそこ
から連絡を受けた地元のお巡りさんが捜索の手を回すだろう。
陵が現れたことが、あやめには不可解だったが、
本当を言うとここ1〜2日、全く見知らぬ土地で見知らぬ人たちの中を
さまよっていたため、あやめはちょっとホッとしてしまった。
(何だい、死のうという人が…)
陵があやめを連れて行ったのは海の近くにある彼の実家で、ところど
ころに改修の手が加えられた古い民家。
潮の匂いに包まれていた。
陵は両親に、大切な知人の娘さん として、あやめを紹介した。
漁師だという陵の父親の釣りたての魚料理をたくさんごちそうになり、
母親の焚いてくれた薪のお風呂に入り、夜になると、
襖で仕切られた部屋に2人の床が敷かれた。
陵の部屋は別にあったが、夜中にあやめが家を抜け出すとか自分を
傷つけるようなことがあってはいけない、と心配してのことだ。
陵があやめの床のある方の部屋に来て、がっしりとした木のテーブル
に肘を付いて話し始める。
「君の居所が思い当たった時、何で警察に言いに行かなかったかっ
て?
それはね、もし警察に保護されて君が戻れば、噂にもなるだろうし晒
し者になる。
それが可哀そうだったからだよ。
小さな町のことだからね。
俺は賭けたんだ。
絶対に君をこの手で探し出してみせるって。
俺の地元だしな。
旅館組合にも頼んだ。漁師組合にも頼んだ。
『こんな子を見かけたらすぐに引き留めて、俺に知らせてくれ』 って。
それで間に合わなかったら、俺の負けだ。
君は望み通り、きれいなままで死んで行く。
それはそれで、本人が望んだことなんだから仕方なかったこととする。
でも、死なせたくなかった。
俺の手で探し出して、俺の命をかけても救い上げたかった。
冬の海にでも飛び込むつもりでいたよ。」
「…恋人でもないのに? 何でそこまで…?」
「… もちろん、俺が 『今死ぬのもいい』 なんて軽はずみなことを言っ
てしまったという事に対する責任はある。
だけど…。 何よりも、君に惚れてるからだよ。」
「えーっ、冗談はやめて下さい。大人の男のマスターが、こんな小娘
を?」
あやめは、にわかには信じられない。
『まさか!
男は女を抱きたいために、こんな場面でさえも口から出まかせを言う
のか?』
あやめの脳裏をそんな疑問が過ぎる。
それから陵は、しばらくの沈黙のあと、決心したように話し始めのだ。
「あやめちゃん、俺は君より年が20才近く上だ。
そして、ある事情があって独り身でいる。
俺はあやめちゃんが祐に連れられて初めて店に来た時、金槌かなん
かで頭をぶち割られたようなショックを受けた。
この世にまだこんな純情な娘がいたのかって驚きもあったけど、
その女神のような娘が、手の速さでは右に出るものはないと言われ
ていた祐と一緒だったから。(笑い)
それから店に来る君を見たり、君と話をしたりしているうちに、年甲斐
もなく本当に君に惹かれてしまったんだ。
だが君は祐に夢中だった。
俺は、自分の気持ちを押し込めたよ。
そして君を見守ることにした。
君を手に入れることが俺の目的じゃなかった。
君が幸せになってくれることが、俺の一番の望みだった。
だから一生、その気持ちは心の奥にしまっておくつもりでいたよ。
だけどね、君が祐の餌食になりそうな時、俺は何もできなかった。
そうなることは最初からわかっていたのに…。
それが最大の後悔さ。
恋路ってのは、他人が何を言ってもどうにもならないものだろう?
俺だってそうだった。
本人が気付くまで放っておくしかないだろう。
その真っ只中にいる時はさ。
だから、君が他の女の子たちのように、祐とのつき合いは一時的な
ものだと気付いて、乗り越えて、笑ってまた店に戻って来てくれるの
を待つことにしたんだ。
祐が本気になるという可能性も否定はできなかったし。
だから不幸にもその時が来てしまったら、俺はあやめちゃんに羽を休
めてもらう居場所になろうと思った。
もちろん、俺以外の男との新しい恋のために羽ばたくためにさ。
この間来てくれた時、君があんまり生き生きしてたから、その時が来
てたってことに気がつかなかったんだよ、俺は。
とんでもない馬鹿野郎だ…。」
「マスター…」
あやめの目がうるうる。
「ひょっとして、私にそのような手紙をくれたことある?」
「俺が? いいや。
俺、あやめちゃんがどこに住んでいるかも知らないもの。」
陵とあやめが暖かい部屋でいい雰囲気になっているその頃、
銀平は雨の中を猛スピードで、千葉の岬を目指していた。
バイク用の眼鏡が雨風に打たれて外れ、コンタクトが外れ、最悪の
視界条件の中、まっしぐらに。
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